自分にとっての宗教

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人生を引き替えにするほど、時間と金を費やしてきたもの。自分の場合は、車・バイク・カメラで、大半のことはこの3つから教わった気がする。この3つがなければ今の自分はないと思うが、費やした時間と金を思えば自社ビルの一つぐらいは建ってる気がする(笑)

車とバイクは交通という環境の中で、基本的に「独り」。特にバイクはその傾向が強い。目的地に向かいつつ、目の前のことに独りで対処する。これは生活に重なるものがある。独りと記す理由は、結局のところ道を走らせるということは「自分」対「周り」なわけで、そのどちらかが欠けることはない。走らせるということは、向き合い方みたいなものを考えることに等しい。なんとなく生きるということの縮図を感じる。また何の因果か会社を若い頃から経営するに至ったが、車やバイクにずいぶん勉強させられた気がする。

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写真は「見る」ということを、散々考えさせられた。人がどう見るのか、自分にはどう見えたのか、そこにあるギャップはなんなのか。ギャップがギャップたる所以はなんなのか。見るは知るに繋がり、知ることは考えさせられる。考えることは面白い。なるほどと感じさせられることは、新しい世界に自分を引き連れてくれる。

車もバイクもカメラも、自分にとっては宗教みたいなもの。全部道具なのだけど、その道具は人が作った物であり、その人達が物作りをするのも、まあ言わばその人達の宗教みたいなものなのだろう。だからこそ、道具であるそれらの構造を見る、知るということは、自分にとっていろんなヒントをくれる存在。

そんなわけで、無駄遣いの言い訳したった(笑)

しかし本当に、無意識に手を合わせてしまう存在。え?飛んでいった福沢さんに・・。