富津・梅乃家

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醤油で煮込んだ叉焼、その煮汁を湯で割っただけのスープ、乾麺、タマネギのみじん切り。千葉県富津市のひなびた漁港近くにある「梅乃家」のラーメン。

いったい何度食べただろう。高速代を含めれば1杯5000円オーバーのラーメン。朝10時開店の一番乗りに並ぶべく、早起きしてアクアラインの渋滞情報をスマホで覗きつつ急ぐ。酷いときは毎週通った。それだけで2万オーバー。

店は常に満席、外には20人は途切れることなく並んでいる。正直自分は店で並ぶことが大嫌いだ。しかしここだけは例外。全国の有名ラーメン店から噂を聞きつけて訪れるらしい。そして一様に首を傾げて帰るらしい(笑)そう、初めてコレを食べて、その味がわかれば大したもんだ。

ラーメンとはなんだろう。ラーメンの常識とはなんだ。恐らく「足し算」なのだ。対して梅乃家のラーメンは足すも引くも、これ以上何も無い。そもそも他と比べる余地がない。したがって常識とやらの色眼鏡でこのラーメンを見たところで実像は見えてこないのだ。なぜなら、これはラーメンとやらではなく「梅乃家」なのだ。

はじめてこれを食べたとき、自分はさっぱりよくわからなかった。なぜあんなに並ぶのかが。しかし人がそれだけ並んでいるということは「自分がわかっていない」ということなんじゃないかと悩んだ。初めて並んだ日から数えること1日(翌日という)、再び梅乃家グリッドに並ぶ自分が居た。店に入るまで40分、店内について出てくるまで約20分。食べ終わるまで15分。この店に辿り着くのに1時間半、往復3時間。そして3回ほどそれを繰り返した。

なるほど、味にばらつきが結構ある。4回目の時には「美味しい!」と感じる自分が居た。過去三回はただでさえ「足してないラーメン」で、醤油と湯の配分が薄い方向に転んでいたらしい。そう、自分はそれまで梅乃家のラーメンに「何かが足りない」と首を傾げていたのだ。そもそも何も足していないものが薄かったら、足りない感はなかなかなものである。

しかし、かえってそれがよかった。そう、いままで自分が食べてきたラーメン、そして、梅乃家。これを俯瞰することができたのだ。さらに言えば、常識という目で物を見て、言語化し、脳内で理解とやらを行う。そのルーティンを繰り返すことで、それはより強固となるし、人は安心する。そうなれば、まったく違うベクトルからのものに、人は本質的な意味合いでニュートラルに接するのは極めて難しいものなのだと深く考えさせられた。

顧客応対も梅乃家はぬきんでたものを感じさせる。常に混雑する店内、テーブルにつく客をコードネームで呼ぶ。「奥、眼鏡パーカー」とのように。要はオーダーを通し共有するためだ。そのうちコードネームがつけられるかどうかが楽しみになってくる。そうなれば、ひょっとすると貴方はもう次のステージに進んでいるのかもしれない。

過去に何度か営業日であるにも関わらず閉まっていたことがあった。往復200km以上、このラーメンを食べるしか目的はないし、それを逸してしまったら何もすることのない彼の地で空前の放置遊戯だ(失敬!)。いま流行の炎上とやらもしようがない。webもなければTwitterもない。ああ、ちなみにTwitterは働く女性の娘さんが休業日の通告だけを行うために始めた。一応頼りにしている。なぜ「一応」なのか。「本日は休業いたしました」と過去形でツイートされるからだ。女性曰く、たまにアップを忘れるらしい。店内ではひっきりなしに電話のベルが鳴る。要は「やってるか?」確認だ。しかし我々はぜったいに電話などしない。してはならない。知り合いでも何でもないが、今日楽しみに訪れているお客さんのラーメンが出てくるのを遅らせてしまうだけだからだ。もし大渋滞の中やっとの思いで店に辿り着き、閉まっていたならば「残念」。それは自分が残念なのだ。これを食べられるに至っていない自分がそこに居たという事実だけなのだ。

我々客側が、梅乃家に腹を立てることなどない。なぜなら、我々は食べさせて頂いているのだ。勘違いしてはならない。慣れ親しんでくると、味のばらつきも脳内で補正プログラムが即座に起動、修正も完璧に行われる。

 

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自分は数多くの人を梅乃家に連れて行った。反応はいろいろだ。しかし、一時期我が社の定例会議はここで行われていた。並んでる最中に。もちろん、自分は号令などかけていない。「おまえ、なにしとんねん」「なにしてるんですか」とスタッフ同士巡り会うのだ。

既にご存じの方もいるかもしれませんが、一度並んで食べてみてください。ご商売なさっている方は、商いというものの原点を痛感させられます。そう、自分の土俵でやるということです。