うれしはずかしウマシカ日記

車とバイクに振り回される日々をしたためる。名前はまだ与えられておりませぬが、ウマとシカと書くのが適当かと思われます。

写真というものに対する考え

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写真というものは面白いなと思っていて、基本的にファインダーを覗いている本人が「シーンの中から選択したもの」が写る。とすると、写真を撮るという行為は「捕まえる(掴む)」という行為に近いと思っている。

ファインダーの中には、人なのか、建物なのか、犬なのか、猫なのか。いろんなものが現れる。つまり「選択する」わけだが、そもそもどんな写真を撮りたいのかがハッキリしていなければ、選択するにもそのパイが大きすぎて五里霧中な話になる。しかしどんな写真を撮るか、それが明確であったとしても、自分が思うように都合よくファインダーの中に誰かがセットを組んでくれるわけでもない。

さらに言えば、浴びる光をスポットライトに見立てたり、風になびく女性の髪を恋心に見立てたり、現実をモチーフにいろいろなものを重ねて表現することもできなくはない。見る人に伝わるかはともかく。

カメラを握る前に、自分自身が重ねてきた経験や思考、なにより見てきたもの、そういった全てのものも、一枚の写真に及ぼすものは何かしらあると思う。

眼前に広がるシーンと対峙したその瞬間、あらゆるものを総動員して(自分の内面にあるものを含めて)瞬時に選択して(捕まえて)、フレームにそれらを流し込む。そこに写るのは、撮影者の「物事に対する向き合い方」かなと、そう思う。

物事の向き合い方というのは、究極を言えば、どう生きるか、という話でもある。そして巷でよく言われる"センス"とやら。センスとは自分にとって、この向き合い方そのものを指す言葉であると自分は捉えている。

考えてみれば、選択とは人生そのものであり、自分にとって写真とは、自分が生きる上でのリトマス試験紙である。ちゃんとやれてるかな、と。オレってどうだろうと。

蛇足だが、カメラのファインダー(Finder)とはよく言ったものだ。自分は何を探しているんだろう。それをどう見ようというのだ。まあ、人生そのものだ。少なくともピントがどう、構図がどう、そんな類いの話に写真の本質はない気がする。

写真というのは、とっても面白い。車もバイクも好きだけれど、人生において最ものめり込んだ遊びかも。そしてまたカメラというものがいかん。物事の見方を探すための道具だとすると、カメラはその示唆に富んだ非常に危険なプロダクトである。モノを見るための道具だ。そしてどう見たかを写しとめる道具だ。カメラには「教え」があるのだ。それをメカに投影しているのだから、機械好きにはたまらなくヤバい代物である。

脱線した(笑)