キリンはある日、首を伸ばしてみた。

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環境に合わせてキリンの首は伸びた。・・一般的な進化論はこうだ。

だが、キリンはある日首を伸ばしてみたくなった。だからキリンの首は伸びたのだろうとよく思う。

社会でも、会社でも、家庭でも(?)長年積み重なったものを覆すのは難しい。なぜなら、人は出来上がっている道筋をなぞることが、やはり安心なのだ。安心なのだから、それを覆そうとなると当然不安になる。ここで重要なのは「何に対して不安なのか」。道筋をなぞれなくなることでしか大半無いのだが、はてさて、その「道筋」とやらはいったい何物なのだろうか。

少し話は変わって、一定のバランスが崩れるときには、目にしたことのない「びっくり」することが頻発する。

たとえば、かつて、銀行が潰れるなんて誰が真剣に考えてただろう。あれだけふんぞり返ってた銀行同士が合併を繰り返し、挙げ句の果てには、消費者金融の利ざやを取り込もうと、これらの会社まで吸収した。消費者金融なんて、当時ダークな印象しか無かったものだ。銀行と言えばクリーンな印象を喧伝していたし、マーケットもそう捉えていただろう。まさに形振り構わない、というやつだ。しかし考えてみればわかる。銀行だって資本主義という仕組みの中で存在するわけであり、単なる一つの会社に過ぎない。そしていま、マーケットは「どこの銀行は安心だろうか」ということに目を向けることを覚えた。未だに、銀行はそう簡単に潰れはしないだろうと思ってるだろうけども。

何事も、構造的疲弊を招き、臨界点というものがある。それまでのバランスが崩れ、新たなバランスが生まれようという時だ。先に記した「びっくり」現象というのはそれの予兆で、それまでのモノサシでは計れないような事態が頻発すると、もうそのバランスが崩れ落ちる瞬間は極々近い。

さて、もしそれが「見える」としよう。つまり、バランスが崩れ落ち、新たなバランスが見えるということ。圧倒的大多数は見えない、若しくは、見ようとしない。

この見えている人が企業経営者で、崩れ落ちようとしていたのがその会社のバランスだとする。経営者がやるべきことは何か。答えは簡単。

一つのバランスが変わるということは、そのバランスを支えていたすべての物事に手を入れる必要がある。この断固たる決意。そしてそのバランスにはあらゆる人々が携わっている。そこにはそこに至るまでの苦悩、想い、いろんなものが絡まっている。

ある日、キリンが首を伸ばしてみた。そこで見たものを、いかに携わる人々の頭に、自分で見たものを投影するか。それをリアルであると映し込めるか。

この諸々の作業は、果てしなく煩雑で、挙げ句ひとつひとつが重い。事態は笑えるほどに紛糾するだろう。そしてキリンがその際に口にするのは「そうしたいんだよね」。この一言。人々がそれを聞き、呆れて笑うぐらいに、その一言が力を持つ行動を。

いやはや、キリンも大変だ。まあ、だからこそあれほど首が長く伸びたんだろう(笑)